大阪地方裁判所 平成3年(ワ)3630号 判決 1992年11月10日
原告
杉山月子こと金錫喜
被告
木原文芳こと李文芳
主文
一 被告は、原告に対し、金二五一万一三一九円及びこれに対する平成二年四月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成二年四月一〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
交差点の横断歩道を横断中、普通貨物自動車に跳ねられ重症を負つた原告が、同車の所有者かつ運転手を相手に自動車損害賠償責任保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害賠償を請求した事案
一 争いのない事実等
1 次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。
(一) 日時 平成二年四月九日午後七時二五分ころ
(二) 場所 大阪市生野区巽北三丁目一二番一号先交差点(以下「本件交差点」という。)
(三) 事故車 被告の所有・運転にかかる普通貨物自動車(なにわ四四せ三五八二)
(四) 態様 本件交差点を北から南に横断中の原告と西進して来た被告車とが衝突(乙第一号証)
(五) 結果 原告は、本件事故により、後頭骨骨折、急性硬膜下血腫、脳挫傷、左肋骨骨折、腰部打撲の傷害を負った(甲第五号証)
2 運行供用者性
被告は、被告車の所有者であり、本件事故時、自己のため同車を運行の用に供していた。
3 損害のてん補
本件事故の損害のてん補として、被告は、原告に対し、治療費三万四五〇円(乙第六、七号証及び当事者の主張等弁論の全趣旨)、仮処分の和解金六〇万円の支払いをなし、また、原告は、自賠責保険から後遺障害保険金として二一七万円の支払いがなされている(なお、被告の主張する付添看護費用についてはこれを認めるに足る証拠がなく、仮処分命令に基づく仮払金については、その性質上、本件訴訟確定前の損害のてん補として評価をするのは相当でない。)。
二 争点
本件の争点は、次のとおりである。
1 原告の後遺障害の程度、労働能力喪失の割合
原告は、本件事故による後遺障害は自賠法施行令別表の第七級の四に相当し、原告は労働能力を五六パーセント喪失したと主張し、原告は、右後遺障害の程度は同表第一二級に相当するにすぎない旨主張する。
2 被告の免責又は過失相殺
被告は、本件事故は、原告が赤信号を無視し、横断歩道外の交差点内を横断したことによる一方的過失に基づくものであり、被告に責任はなく、仮にあるとしても、大幅な過失相殺がなされるべきである旨主張する。
第三争点に対する判断
一 本件の事故態様と被告の免責、過失相殺の主張について
1 事故態様
前記争いのない事実に加え、後掲の各証拠に原告・被告各本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、東西に通じる歩車道の区別のある片道一車線(幅員三・五メートル)、速度規制時速三〇キロメートル、アスフアルト舗装の平坦な道路(以下「本件道路」という。)と南北に通じる北行一方通行、速度規制時速二〇キロメートルの道路(幅員六・二ないし五・六メートル、以下「南北道路」という。)との交差点にあり、本件交差点の東西南北にはそれぞれ横断歩道が設置され、それぞれの横断歩道の上には車両用信号と歩行者用信号とが設置されている。本件交差点付近は、市街地であり、本件交差点の四つ角には、洋菓子店、会社、パチンコ店等がある(乙第一号証)。
本件道路は、アスフアルトで舗装された平坦な道路であり、本件事故から一時間三五分後に実施された実況見分においては、本件交差点付近は明るく、信号機は作動中であり、東西道路の路面は乾燥し、通行する車両は五分間に三五台であつた(同号証)。
(二) 原告は、平成二年四月九日午後六時ころ、泊まり込みで勤務していた共和病院を出て、預金通帳等を取りに、当時の住所地であつた大阪市生野区中川東二丁目一八番一六号所在の生和荘にバスで帰宅した。その後、原告は、預金通帳等を所持して生和荘を出て、病院に戻るため、同日午後七時二五分ころ、本件交差点に差しかかつた。原告は、同日午後七時までに前記病院へ戻る予定であつたにもかかわらず、予定を大幅に遅れていたことから、先を急ぐあまり、同交差点の南北の信号が赤色であつたにもかかわらず、同信号に従うことなく、同交差点西側横断歩道東側の交差点内(乙第一号証の実況見分調書における被告の指示説明及び同添付現場見取図に記されたスリツプ痕の状況に照らすと、本件衝突地点は同横断歩道東側の交差点内であり、したがつて、原告が横断していた区域も横断歩道外と認めるのが相当である。)を北から南へ横断した。
被告は、被告車を運転し、東西道路を時速約三〇キロメートルで西進し、青信号に従い、本件交差点に進入しようとしたが、前方の駐車車両の状況に気をとられて原告の発見が遅れ、同交差点西側横断歩道西側の同交差点内を北から南に横断している原告を五・五メートルに近接して発見し、急制動の措置を講じたが及ばず、自車右前部を原告に衝突させ、原告に前記重症を負わせた(乙第一、第三号証)。
右事実に関し、原告は、青信号に従い本件交差点を横断した旨主張し、原告作成の陳述書及び原告本人尋問の結果中にも右主張にそう供述部分がある(甲第三号証及び原告本人調書八項)。
しかしながら、本件は原告の受傷部位が身体の左側であること(甲第五号証)等から原告が本件交差点を北から南へ横断する際の事故であることが推認され、原告も当法廷でそのことを認めているところ(同調書一八項)、原告は、前記陳述書(甲第三号証)では、南から北へ横断する際の事故である旨記載し、また、当法廷でも、本件交差点の南側にあるパチンコ店の前まで来て対面信号が赤色から青色に変わるのを見て交差点を横断したの供述しているなど(原告本人調書八項、したがつて、南から北への横断であることになる。)、本件事故直前の状況の認識、記憶にかなりの混乱がみられる。このことと、原告は、本件事故当時、病院へ同日午後七時までに戻るべきところ、既に午後七時二五分近くに至つていたため、病院への帰路を相当急いでいたこと(同調書一〇、二一項)、前掲の各証拠及び被告本人尋問の結果とを合わせ考えると、原告は当時病院への帰路を急ぐあまり、信号や道路状況についての認識が十分でないまま本件交差点を横断したと認めるのが相当であり、他に右認定を覆すに足る証拠はないから、原告の前記主張は採用できない。
2 右認定事実をもとに、被告の免責又は過失相殺の主張につき、検討する。
(一) 免責の主張について
前記認定事実によれば、被告は、東西道路を西進し本件交差点に進入するに際し、進路前方を北から南に横断していた原告を五・五メートルに接近するまで発見しなかつた。かかる場合、同交差点において被告車の進路の信号が青色を表示していたとはいえ、交通機構が人と車両との混在を前提としており、人に対する交通教育が十分になされていない状況においては、人に対する関係でいわゆる信頼の原則を適用することはできない。そして、本件において、夜間ではあるが比較的明るい本件交差点内において、対向車線側から横断してきた原告を被告が事前に発見することは十分に可能であつたと推認されるところ、被告は、進路前方の駐車車両に気を取られ、五・五メートルの至近距離に至るまで原告を発見できなかつたのであるから、前方注視義務を十分に尽くしたものとは解し難い。したがつて、被告に過失があることは明らかであるから、被告の免責の主張は採用できない。
(二) 過失相殺の主張について
原告には、本来歩行者側の信号が赤色灯火の場合には、歩行者は横断を開始してはならない(道路交通法施行令二条一項)にもかかわらず、病院への帰路を急ぐあまり、信号を無視し、かつ、夜間、横断歩道外の交差点内を横断した過失がある。
両者の過失を比較すると、信号を無視し、横断歩道外を横断した原告の過失の方がより重大であり、原告が当時六八歳であること等を考慮しても、原告には本件事故に関し七割の過失があると認めるのが相当である。したがつて、後記本件事故により生じた損害から七割を減額控除すべきである。
二 原告の治療経過と後遺障害、労働能力喪失の程度
1 治療経過
後掲の各証拠に原告本人尋問の結果を総合すると、原告の治療経過として、次の事実が認められる。
原告は、本件事故により、後頭骨骨折、急性硬膜下血腫、脳挫傷、左肋骨骨折、腰部打撲の傷害を受け、医療法人育和会記念病院(以下「育和会病院」という。)に、平成二年四月九日から同年五月三一日まで入院(五三日間)し、同年六月一日から平成三年一月三一日まで通院(実治療日数一一〇日)し(甲第五、六号証)、同日、症状が固定した(甲第一八号証)。
原告は、本件事故直後から意識障害に陥り、育和会病院への前記入院期間中、めまい、頭痛、腰痛等に悩まされ、退院後も、前記通院期間中、頭痛、めまい、手指、足趾のしびれ等及び腰痛等を訴え続けており(甲第一四号証)、前記症状固定時においても、頭痛、ふらつき、腰痛、左下腿痛、右関節痛を訴えていた(甲第一八号証)。原告は、CTスキヤンによる撮影では、両側前頭葉に脳挫傷の痕である低吸収域が存在している(甲第一四、第一八号証)。
原告は、自賠責保険において、その後遺障害が自賠法施行令別表一二級一二号に該当する旨の等級認定を受けた(自賠責保険から二一七万円の支払いがあつたことは当事者間に争いがないこと及び原告の主張等弁論の全趣旨)。
2 後遺障害、労働能力喪失の程度
原告は、前記後遺障害に関し、原告の頭痛、ふらつき、手足のしびれの障害は、自賠法施行令別表の七級四号「神経系統の機能又は精神に障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当し、腰痛左肩関節等は、同別表の一四級一〇号「局部に神経症状を残すもの」に該当し、全体として、前者の七級四号に該当することとなり、労働能力を五六パーセント喪失した旨主張する。
当裁判所としては、原告の前記後遺障害が自賠法施行令別表のいかなる等級に該当するかを直接判断することは、必ずしも必要がないものと考えるが、労働能力喪失の程度の判断にも相応の関連性を有し、かつ、本件の審理において争点とされてきた事項であるので、右等級に関する原告の主張にも、検討を加えておくこととする。
原告の前記頭痛、ふらつき、手足のしびれ等や腰痛等の障害をもって、特に軽易な労務以外に就労不能と言い得るかを検討すると、平成三年七月二五日に行われた簡易痴呆テストの結果をみても原告の判断能力はほぼ正常と認められていること(甲第一四号証の一、二枚目)、原告は本件事故当時六八歳であつた上、平成二年五月以降、本件事故とは無関係の病状である疑いが強い腟炎、肝機能障害、神経痛、上気道炎、両五十肩、口内炎等に悩まされていること(甲第一七号証)に照らすと、原告と同年齢の者に様々な神経系統の症状が発現することは経験則上少なくないから、原告の前記のような後遺障害の存在をもつて、同年齢者と比較し、本件事故により特に軽易な労務以外できない程労働能力が大幅に減少したと断じることは困難であり、原告の後遺障害がその主張にかかる前記別表七級四号に該当するかには疑問が残る。もっとも、原告は、本件事故により脳挫傷の傷害を受け、CTスキヤンによる撮影において両側前頭葉に脳挫傷の痕である低吸収域が存在することなどを考えると、原告の訴えるめまい、頭痛、手足のしびれ等には相応の医学的裏付けが存在するとみれなくもなく、自賠責保険が認定したような前記別表一二級一二号の「局部にがん固な神経症状を残すもの」に該当するとみることが相当であるかにも疑問が残る(前記別表九級一〇号の「神経系統の機能(中略)に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限」された場合に該当するとみる余地もあり得たものと解される。)。
以上の検討に加え、原告が昭和六二、三年ころから本件事故に至るまで病院の付添婦という肉体的負担の大きい仕事をしていたこと、右職業への就労にとってめまい、頭痛、手足のしびれの不定愁訴や腰痛等が少なくない支障を来すものと考えられること(甲第三号証及び原告本人尋問の結果)を考慮すると、原告は、症状固定時、三五パーセントの労働能力を喪失したものと認めるのが相当である。
三 損害
前記争いのない事実及び前記認定事実に加え、後掲の各証拠、原告本人尋問の結果を総合すると、本件事故と相当因果関係のある損害と認められるものは次のとおりである。
1 治療費(主張額三万三四〇〇円) 三万三四〇〇円
甲第六号証によれば、原告は、通院中の治療費として三万三四〇〇円を負担したことが認められる。
2 入院雑費(主張額六万三六〇〇円) 六万三六〇〇円
前記認定事実によれば、原告は、育和会病院に五三日間入院していたところ、原告の病状、治療経過、性別、年齢、その他の諸事情を考慮すると、原告は、右入院期間中、一日当たり少なくとも原告が主張する一二〇〇円の入院雑費を要したものと認めることが相当である。したがつて、入院雑費の合計は、六万三六〇〇円となる。
3 休業損害(主張額三七四万七三八七円) 二七九万九九四二円
原告は、昭和六二、三年ころから病院の付添婦として勤務し、平成二年一月五日から同年四月五日までの九一日間に一一九万八五六〇円の収入を得ており(甲第一〇の一ないし第一二号証)、本件事故前三か月間に一日当たり一万三一七〇円の収入を得ていたことが認められる。原告は、本件事故による傷害の治療のため、前記認定のとおり育和会病院に、平成二年四月九日から同年五月三一日まで入院(五三日間)し、同年六月一日から平成三年一月三一日まで通院(実治療日数一一〇日)していたことが認められる。
右治療期間中、原告は、育和会病院を退院するまでの五三日間は労働能力を完全に喪失していたと認められる。そして、右退院後、原告には、前記認定のとおり、神経痛、上気道炎、両五十肩、口内炎等が発現しており、原告の通院治療の中には、右私病のための治療である疑いがあるものが散見されること(甲第一四号証)、育和会病院の診療録中、同年一一月二一日の欄には、「今月中で終了、後遺症の方向へ」との記載があり、その後原告の病状、治療内容(主としてリハビリを中心とし、投薬回数等は従前と比較し減少している。)にほとんど変化が認められず、症状が安定化していることなどに照らすと、原告の労働能力の喪失率は、右退院時である同年六月一日から同年一一月三〇日までの一八三日間は、退院時(一〇〇パーセント)と症状固定時(三五パーセント)のほぼ中間の七〇パーセントに、その後症状固定までの六二日間は、さらに低減し五〇パーセントになり、平成三年一月三一日、症状が固定したものと認めるのが相当である。
そこで、右治療期間中の休業損害を算定すると、次の算式のとおり二七九万九九四二円となる。
(本件事故時である平成二年四月九日から同年五月三一日まで)
一万三一七〇円×一×五三=六九万八〇一〇円
(同年六月一日から同年一一月三〇日まで)
一万三一七〇円×〇・七×一八三=一六八万七〇七七円
(同年一二月一日から平成三年一月三一日まで)
一万三一七〇円×〇・五×六三=四一万四八五五円
(合計二七九万九九四二円)
4 後遺障害による逸失利益(主張額一一二一万七〇二〇円) 七三四万二二八八円
原告は、大正一一年二月一五日生れの女子であり、前記認定のとおり本件事故前三か月間の収入は一日当たり一万三一七〇円であつたことが認められるところ、原告の稼働状況、平均余命その他を考慮すると、原告は、少なくともその主張にかかる五年間、右収入を得ることができたものと認められる。したがつて、前記認定のとおり、原告の後遺障害による労働能力喪失率を三五パーセントと認め、中間利息をホフマン方式により控除し、原告の後遺障害による逸失利益を算定すると、次の算式のとおり七三四万二二八八円となる。
一万三一七〇円×三六五×〇・三五×四・三六四=七三四万二二八八円
5 慰謝料(主張額一〇五〇万円) 六七〇万円
前記認定の本件事故の態様に加え、前記のとおり原告が平成二年四月九日から同年五月三一日まで入院(五三日)し、同年六月一日から平成三年一月三一日まで通院(実治療日数一一〇日)したこと、その間の治療経過、原告の前記後遺障害の程度、原告の年齢、性別、職業その他諸般の事情を考慮すると、本件事故による原告の精神的、肉体的苦痛による慰謝料としては、六七〇万円が相当と認める。
6 小計
以上の1ないし5の損害を合計すると、一六九三万九二三〇円となる。
四 過失相殺及び損害のてん補
前記損害の合計額一六九三万九二三〇円から、、前記認定のとおり、その七割を過失相殺により減額控除すると、損害額は五〇八万一七六九円となる。
本件事故の損害のてん補のため、原告に対し、治療費として三万四五〇円、仮処分の和解金として六〇万円の支払いがなされ、自賠責保険から後遺障害保険金として、二一七万円の支払いがなされていることは当事者間に争いがないから、これらの合計額二八〇万四五〇円を右五〇八万一七六九円から差引控除すると、右過失相殺後の損害額は二二八万一三一九円となる。
五 弁護士費用
本件の事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、二三万円が相当と認める。
したがつて、本件における認容額は、合計二五一万一三一九円となる。
六 結論
以上の次第で、原告の請求は、二五一万一三一九円及びこれに対する本件事故の翌日である平成二年四月一〇日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 大沼洋一)